2008年3月24日月曜日

デスクトップの整頓

ぐちゃぐちゃなデスクトップ

もう 10年以上も前のことになるが、はじめて Mac を触ったとき、「デスクトップ」って何だろ (?_?) と思った記憶がある。ここにいったい何を置けばいいのだろうか?よく聞いたのは、

「作業中のファイルを置いておく場所」

ということ。はじめは、よく使うアプリケーションのエイリアス (Windows でいうショートカットのこと) を作成し、ランチャー変わりに使っていた。また、ダウンロードしたものを一時的に置いたり、試しに作ったファイルをとりあえず置いたりもした。結果、いつもデスクトップはぐちゃぐちゃ。。。(@_@;) どこに何が置いてあるのかわからなくなってしまった。

「とりあえず」な誘惑

080320-006この「とりあえず」という言葉がいけない。心の中では、

「後でちゃんと片付けよう!」

と考えているのだけれど、結局いつまで経っても、その「」は来ない。(o_ _)o~† 段々嫌になってくると、ゴミ箱ではなくて、「ごみ袋」という名前のフォルダを作成して、全部一気にそこの放り込み、必要なもをそこから取り出すということを何度も繰り返していた。ゴミ箱には捨てることができない、このイサギの悪さ。実質、ゴミ箱なのに「ゴミ袋」。「ごみ袋」に入れていることにより、なくならないという安心感と、デスクトップがスッキリしたという解放感に一時爽快を覚え、何の問題解決にもなっていないことを忘れることができた。

 

ぐちゃぐちゃな理由

性格と習慣の問題

さて、あれから 10年以上の年月が経過しているが、今自分のデスクトップはどうであろうか?はい、もちろん、ぐちゃぐちゃです ^^; 結局、デスクトップというメタファーを全く有効に利用できていない。進歩なし。パソコンがいくら性能がよくなっていても、結局、運用が変わらなくては、同じような問題は繰り返される。

なぜ、デスクトップがぐちゃぐちゃになってしまうのだろうか?理由を考えてみた。まず、根本的なところ。

  • 整理・整頓の習慣がない。

これは言わずもがな。そもそも性格的にズボラで、几帳面ではない。 (変なところで神経質ではあるが。^^;) 世の中には、潔癖症で、常に身の周りを綺麗にしていないと落着かないという人もいるようだが、全くあてはまらない。パソコンのデスクトップならぬ、実際の机の上も、同様にいつもぐちゃぐちゃ。作業効率の高い人の中には、一件乱雑なように見える机でも、実は検索にとって効率的に配置されているという話も聞くが、自分の場合は違う。ものすごく検索効率は落ちているし、作業がしにくい。では片付ければいいじゃん!という話だが、これまた、そう簡単にできるものではない。 「ここに置いておかないと、続きができない」という感覚に捕われてしまうからだ。

一時的なはずなのに...

ちなみに、机の上だけではなく、部屋の中も同様にぐちゃぐちゃ。読みかけの本が散乱している。パソコンのデスクトップがぐちゃぐちゃな理由と、部屋が乱雑であるのは、同じ理由のような気がしてくる。そう、それは、場所を個々の作業場の「しおり」とし、作業状態を明確に管理していないのである。では、ちゃんと作業状態を管理すればいいと思うのだが、それができない。面倒だからという理由が一番大きい。

何が面倒なのだろうか?思うに、管理するコストが高いと考えてしまうからだ。例えば、興味のある事柄に関する本を数冊読んでいたとする。そうすると、そこから別の本を読みたくなってしまうのが常。最初から最後まで通して読むのならいいのだけれど、たいてい途中で興味を失い、また読みたくなるのを待つことが多い。で、そのとき、わざわざ本棚に戻すことをしない。戻してしまったら、二度と読まない気がするからだ。だから、その場に放置する。そして、放置された本で部屋が埋めつくされ、作業場が圧迫される。これをスッキリさせるには、どうしたらいいか... あれを読んで、これを読んでという履歴をどこかに書いておくのがいいのだろうか?でも、それは面倒だ。

結局、これはどういう問題かと言うと、

一時的だと思って試したものを放置し、新たに別の作業をはじめる。

「一時的に...」と思っているのだけれど、結局、その場で半永久的に留まっている。埃がかぶっているのにもかかわらず、それを見ると、

「近々手をつけるから、そこに置いておこう」

と思ってしまう。毎回思う。「あぁ、見てしまった。見なければ、片付けられたのに...」と矛盾することを考える。

分類できない

更にもう一つ問題が。それは、

散らかした物を分類できない

散らかっている状態。そこには、散らかしたときの文脈がある。あれを読んで、これを読んで... あれをやって、これをやって。そこには目に見えないつながりがある。散らかされ方に重要な情報の痕跡がある。これを保存しておきたいと、つい考えてしまう。分類して元に戻すとき、そういった文脈を分解せざる終えないことがある。それでは、自分にとって大事だと思う情報が失われてしまう。物事は、一気に解決できない。だから、そのとき作業している状態がそのまま再現されていた方が、後で同じ問題を解決しようとするとき都合が良い。だから、余計に片付けられない。

 

対策を考える

さて、どうしたものか... ^^;

習慣付けること。これが多分一番難しい。できる人なら、何も自分のように困ることはない。自分としては、GTD を使い、「整頓する」という項目を作り、定期的に実施したいところ...

ところで、 GTD で一番自分にとって難しいと思うのが、定期的なレビュー。なぜかできない。やると絶対に良いはずだと思っていているのだけれど、できていない。習慣化されていない。

なぜ、定期的なレビューをしないのだろうか?レビューしようとするとき、何をしているのだ自分よ?考えてみると、目新しい情報に目移りし、新なタスクをはじめている。やりかけのものは、放置され、別の関心にエネルギーがシフトしてしまっている。どこか、デスクトップがぐちゃぐちゃになる理由に似ている。一時的なやりかけのものを放置し、別のことをしてしまう...

では、なぜ目移りするのだろうか?それは、それまでやっていたこと、調べていたことが行きずまり、そこで達成感を得られない状態になっていることが根底にある。この状態が続いていると、非常にストレスフル。思うような結果がなかなか得られないからだ。そこで、それを代償するために、新しいことをはじめ、達成感を得ようとする。一番お手軽なのは、未知の事柄について興味を広げること。情報のインプットに始終すること。新しい情報を読むのは楽しいし、何よりもあまり考えなくていいから、楽。惰性で読める。新しい事柄を読めば、そこから派生して更に新しい事柄を調べたくなる。こうして、古い事柄、やりかけのものは奥の方の地層に埋もれてしまう。

これをどうにかするには、新しい事柄に目移りするを意識的にやめるようにしなければならない。情報のシャットアウト。興味を拡散させない時間。そういう期間が必要だ。ぐっと我慢。今、目の前のものを、とりあえず、片付ければ、それはそれでストレスか開放されることを体に覚え込ませなければならない。

大雑把に分類する

「楽で楽しい」と感じることは習慣化される。とすると、整頓が楽で楽しいと感じるものになればいいはずだ。整頓できない最大の理由は、うまく分類できないことによる。分類は、厳密に分類しようとすればするほど、それがストレスとなる。だから、「ほどほどに分類する」ことを心掛けることにする。それが何であるか、どこに分類されるかは、あまり悩まない。どこにいったかわからなくなったら、また探せばいいくらに考えておく。

マイドキュメントの整理については、部類しないでどんどん放り込むということを実践している。しかし、これでも、デスクトップは汚れていく。なぜか?

  1. 試したアプリを放置。
  2. マイドキュメントの整理を徹底していない。

「いつかやる」という名前のフォルダ新し物好きで、何か便利そうなものがあると、とりあえずダウンロードして試してみたくなる。そのため、デスクトップは圧縮ファイルと、その解凍したもので氾濫する。常時使うと決めたもの関しては、ちゃんと整理している。そうでないものが問題だ。今後、使うかどうかわからない微妙なものが困る。 Program Files に入れるわけにもいかず、デスクトップに放置。ゴミ箱に入れてしまったら、二度とそのアプリを探せなくなるかもしれないという危惧があるからだ。

「よし!これに GTD を適用しよう」と考えた。そこで、こんな名前のフォルダをデスクトップに作った。「いつかやる」 ^^;

「本当にやるのか?」という思いもあるけれど、デスクトップを綺麗にするという目的には叶っている。

080324-014さて、全部、ここにブチ込んでみた。いや~スッキリデスクトップ!しかし、まだ残っているものがあった。それは、マイドキュメントに入れるにも入られない微妙な資料。調べてみると、これには種類があることがわかった。それは、「いつかやる」に入れておいて問題のないものと、「近々考えたい」というものだ。そこで、これに対して 「近々やる」というフォルダを作成した。

これでとりあえず、デスクトップ上はスッキリし、作業場としての機能が回復した。必要でないものが置いてないデスクトップの心地良さ。この気分をしっかりと覚えておくことにしよう。汚れたら、整理したくなるように。 ^^;

 

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